小倉 樹です!
私は1988年生まれで、この世代はとても有名人が多い世代ですが、一般的にゆとり世代と揶揄される世代でもあります。
完全なゆとり世代の私ですが、今回は私と同い年であるシンガーソングライターでラジオのパーソナリティでもある「桑嶋将彦」くんとお話してきました。
お酒を飲みながら凄く熱い語り合いになってしまったので、熱苦しいとは思いますがお付き合いください!!
「桑嶋将彦」くんの生まれ育ち
中津市生まれ中津市育ち、高校卒業してから夢を追い東京へ上京します。
3年間東京で生活しますが 「音楽をする為にに上京したのに、毎日の生活が精一杯で自分の軸がずれて、音楽が全くできていなかった。今地元にいる方が音楽活動ができている。都会にいるから成功するとか、地元にいるから発信しにくいとかは無いと思いたい。」 と語っていました。
そして21歳の時に東京から帰ってきて中津で活動を始めます。
まず地元中津から上京する勇気が凄いですよね。
音楽に目覚めたきっかけ
そんな桑嶋将彦くんが音楽に目覚めたきかっけは日本の3人組ロックバンド「10-FEET」の曲を聞いて泣いた事から始まります。
高校2年の頃から作曲を初め、当時はバンドでベースを弾いていて、もともと表に出るタイプでは無く、曲を作って提供するトラックメイカーや、バンドでベースを弾いたりと裏方の方が好きだそうで、それは今でも変わらないそうです。
現在も作曲した曲や、作ったトラック(曲)を沢山の人に知って欲しいという思いから、あえて弾き語りをしているそうです。
自分のトラックを聞いて欲しくて、あえて弾き語りと言う選択をするというのは私の中で凄く意外でした。
そして今、トラックメイカーとして楽曲提供もしており、トラックメイカーが一番やりたい事だと語っていました。
「ゆとり世代 NO これ次世代」について
桑嶋将彦くんは自身の事をトラックメイカーでありフレーズメーカーでもあると言っていて、「ゆとり世代 NO これ次世代」とは上のYoutubeにあるWHITE DESIGNの歌詞に入っているワンフレーズです。
「ゆとり世代と言う言葉があまり良い意味で使われて無いご時世なんで、このキャッチーなフレーズがいつかマイナスを打ち消して、これからの時代を担って行く面白い世代と言って貰えるようにという願いを込めてゆとり世代 NO これ次世代というフレーズを作った」と言っていました。
実はこの曲を作るときに曲ができなかったらもう音楽を辞めようと思っていて、そのときに音楽仲間でライバルでもあるSUN-VIEWやおだちマン倶楽部の協力によりこの曲が完成したそうで、原曲は3人で歌っているそうです。
仲間と作った魂の曲と聞くとなんだか私は胸が熱くなるんですよね。
このWHITE DESIGNを歌い続けて欲しいと心から思いました。
円周率について
桑嶋将彦くんきっての名曲ですが、実は何の思い入れもないそうです(笑)
ラジオの企画で、ゆとり世代は円周率をπで覚えた世代なので苦労してない、今回円周率をどこまで覚えれるか!と企画で作った曲だそうです。
ただ奇跡的に曲の時間も3分14秒で終わったそうです。これは本当に奇跡!奇跡の曲ですね。
気持ちを入れている曲は人気ないのに、気持ちの入ってない曲が人気なのが桑嶋将彦くんの悩みだそうです。
東九州自動車道について
人気の名曲ですが、これもラジオで「北九州ジャンクションから何処まで覚えれるか」と言う企画から生まれた曲で、なんの思い入れもないそうです(笑)
ただ、小さなメッセージとしては「毎週ドライブ行こうね」というラブソングだそうです。
「オーディエンスを沸かせる曲も無ければ、泣かせる曲もないけど、俺の曲を聞いてちょっと二ヤっとして面白いと思ってくれる人がいたなら歌っている価値がある」と答えてくれた桑嶋将彦くん。
今出来る事を精一杯やっている心が伝わってくる言葉でした。
本当に同い年の音楽仲間として頑張って欲しいなと思いました。
そして最後のシメに、東九州自動車道の全線開通について一言いただきました。
「僕はこの曲を半年以上前に作ったんだけど、その時点でもう開通してると思ってた(笑)最近まだ開通してなっかた事を知った。という事でこの曲は未来を見据えたフューチャーソングです(笑)」
いや知らんかったんかい!と思わず突っ込んでしまいました(笑)
結構ニュースになってたけどなー・・・
という事でこれにて桑嶋将彦くんのインタビューの要約ですが終わりたいと思います。
最後まで読んでくれた方、本当にありがとうございました。
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